お久しぶりの更新でございます。
桜ネタでなにかやろうかと思っていたのに、時期を逃した奴がここに。
なので、季節は関係ない通常運転の久秀さまと信長さまのお話です。
若信長と、オトナ久秀のイメージで書き散らかしています。
ちょっと長めの作文ですので、お時間ありましたらお付き合いくださいませ。

本編は続きボタンから。


 
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 闇の目印

 

 

 

京の屋敷にて松永久秀は、一週間近く前から屋敷に引きこもって過ごしていた。

相変わらず彼の屋敷内は昼下がりの晴れやかな陽気でも、人が居ないかのように静かである。

そんな静けさの中でゆっくりと墨を磨っていた松永に、障子越しから来客を告げる声が届いた。

広間へ、と宅主は小姓へ短く返すが、自身の墨を磨る手は止まっていない。

己の好みの濃さに墨を磨り上げ、ゆるりと美しい手跡で文を一通したため、更には筆箱を片付け、それからようやっと彼は腰を上げた。

上座で宅主を待っていた客人は、散々待たされたせいか目が据わっている。

苛立っている相手の様子など知らぬ顔で穏やかに御機嫌ようと声をかけた途端、ドスの効いた皮肉を投げつけられた。

「茶を何杯飲ませるつもりだ」

相手の言葉に大した反応もしないで、松永は涼しい顔のまま下座に腰を下ろし型通りの挨拶をしてみせる。

「急ぎの用件に捕まっていてね、失礼した」

待たせた事に対して簡単な謝罪だけを口にした相手の態度に、客人の苛立ちが更に増したらしい。

「わざわざ来てやった俺よりも、優先順位の高い用事がある、ということか」

嫌味たっぷりの言葉に、松永の表情がすっと消えた。

「如何様にも取って貰って構わないよ。但し」

松永の眼がぎらりと厳しさを含む。

「私から卿に来てくれと頼んだ覚えはない。嫌味を言いに来ただけならば帰ってくれたまえ」

いつものような余裕のある返しとは真逆の、酷くきつい相手の物言いに、予想を裏切られた客人の織田信長は思わず怯んで言葉を止めた。

自分の前では滅多に不愉快を表に出さない男が放つ重たい雰囲気に呑み込まれそうになるのを抑え、信長は松永の様子をじっと見つめる。

相手の伺う様な視線など気にしない姿で松永は眉間の皺を深くしたまま、失礼と短く断りを信長へ入れ、懐から煙管入れを取り出した。

己と面している時に珍しく煙草盆を脇に置く久秀の様子はまさに不機嫌そのもので、どちらも言葉を発さない二人が座る広間の空気はますます重くなってゆく。

客人に掛からないようにと顔を背けて静かに紫煙を吐き出した松永が、低い声を出した。

「して、今日はどうしたのかね」

漸く、宅主が自らの不機嫌を抑える努力をしたらしい、空気が僅かに軽くなった事に気付いて、信長が息をひとつついて口を開く。

「京へ戻って来てから一度もこちらへ顔も出していないが、如何した」

手を添えて煙管の灰を灰皿に落としながら、松永はおやと意外そうに返答した。

「遠征は終わったのだろう、私の役目は終わっている筈」

感情の無い平らな物言いをする相手に、一度は落ち着いた信長の声に、再び棘が含まれ始める。

「こちらの都合を考えろ。褒賞などの話は終わっていない」

火種を落とした煙管を長い指で弄んでいる弾正が、煙管へ目を落としたまま、ふんと鼻で笑った。

「要らぬな、そのようなモノ」

「・・・俺の顔を潰す気か、貴様」

客人に対しての気遣いも見せず、むしろ小馬鹿にするような言動を行う宅主へ苛立ちを募らせる信長に、松永は冷ややかな一瞥を向ける。

「なにを今更。己で撤退を即決できなかった時点で、卿の面子は潰れているじゃあないか」

この言葉で信長は漸く松永久秀の不興の原因を知り、その瞬間すっと心が冷えた。

言葉を無くした客人の心中が見えたように、松永は片側の口角だけを上げて、声無く笑う。

「目先の利に執心してあれだけの駄々をこねる大将だったとは思わなかったよ」

軍議の場で目を泳がせていた家臣たちの顔が、信長の脳裏に蘇ってきた。

目の前の男は、きっとあの時の話をしているのだろう。

 

 

勢いに乗っている人間を、言葉だけで止めることは難しい。

今の状態ならば、どんな難題が立ちはだかろうともその勢いで障害を打ち崩して進んで行ける、という思いに支配されているからだ。

その思いを持っているのが自らの強権的な主君であったならば、尚更に周りが説得するのも苦労することとなる。

現在の織田軍の軍議の場が、まさにその状態であった。

草からもたらされた幾度目かの報告の後でも、大将の席に腰掛ける男は眉根に皺を寄せて一言も発する事をしない。

そんな重苦しい空気の中から畏れながら、と大将に向かって精一杯の声を上げた彼の重臣がいた。

「先程から報告は皆同じ・・・浅井の叛意は確実な様子。殿、このままでは我ら朝倉と浅井に挟み撃ちにされまする」

いまだに受け入れがたい事実を口にした部下を、大将、織田信長がじろりと睨む。

「撤退しろ、と言うか」

「・・・は・・・」

信長の重い威圧に、重臣の言葉が濁った。

今回の戦の目的である朝倉の本拠地、越前まで勝ち戦を続けてあと少しという所から、まさかの撤退という選択を信長にさせるには、この部下の言葉はまだ足りなかったらしい、主は機嫌の悪そうな表情でまた黙り込む。

しかしこの黙り込んでいる最中も、背後から信長の妹婿であるはずの浅井長政が突如として反旗を翻し、此方に向かって進んできているという報告は続いているのに、信長を説得しきれない部下たちの間で焦りの色が徐々に濃くなってきた頃、軍議の末席から凛と声が響いた。

「織田殿、宜しいだろうか」

先程まで気配も感じなかった場所より、声をあげた武将がいつの間にか座っている、いや居たのかも知れないが、今まで誰も気に留めていなかった武将である。

信長は声の人物をちらと眺め、何だと平らな声で発言を許した。

面白くなさそうな信長の顔を見つめながら、末席の武将は静かに首を振る。

「私も撤退という選択をお勧めする。挟撃を避けるには急がれた方が宜しい」

落ち着いた口調ではっきり示された己の意思とは反する言葉に、信長の目つきが更に鋭さを増した。

「ここまで来て、長政が余に叛する理などあるか」

大将の威圧など物ともしない様子で、壮年の武将は相手の言葉に頷く。

「此方には無くとも、浅井はどうであろうか」

「馬鹿なことを、アレは余の妹婿であるぞ」

「そして、浅井は朝倉と同盟を結んでいる家でもある。いかがかな?」

淡々としたやり取りの最後に返された言葉に、信長の目がはっと僅かに開かれた。

末席の男は続ける。

「此処までに織田殿は手筒山と金ケ崎を落としてきた、戦果としては十分だろう。そして今ならば、退路は確保できる。だが、この先へ進めば逃げ場は無くなる、その前に決断を」

退路、との言葉に、信長に近い席の武将が待たれよと男を制した。

「前方は朝倉、後方は浅井、敵だらけのこの地に退路など何処にあると言うのだ、松永殿」

末席に控える松永弾正久秀は片眉を上げて、こちらに問うた武将へ目を移す。

そしてすらりと立ち上がり、軍議の中央に置かれた地図を長い指で指しながら、一人の人物の名を口にした。

「私が退路に考えているのは朽木谷・・・こちらの朽木元網殿、少しばかりよしみがある。公の許しが出るならば、私が彼に掛け合って来ようと思っているのだが」

松永の説明をじっと聞いていた信長が、立ち上がっている相手の顔を見上げる。

「弾正。退路はどれくらいで確保できるか」

己を品定めするような信長の目をしっかり受け止めて、松永は片方の口角を僅かに上げた。

「直ぐに。皆の荷造りが終わる頃には話をつけてこよう」

退路の交渉としては早すぎる時間設定に、松永への疑念も含まれたさざめきが軍議の場に広がるが、信長は動じることなく鼻を鳴らす。

「ならば任せる」

一礼して先に陣幕の外に出た松永の背後から、撤退と信長の重々しい決定が響いてきた。

主の命令で急ぎ馬を引いてきた部下に向かって、朽木殿の所へ、と馬上から短く告げて松永は颯爽と駆け出して行く。

 

決断後の織田軍の動きは速かった。

松永久秀は約束した通り、軍内の荷造りが終わるころには朽木元網の近しい部下を連れて信長の下に戻り、朽木谷経由の撤退路が確保された事を証明している。

松永と朽木の部下が先導する山道を織田一行は黙々とついて行き、その先の朽木谷では元網本人が待機しており、彼らの案内に寄って織田軍は無事、京へ帰り着く事が出来たのである。

「弾正、大義」

京へ到着したとき、信長が久秀に向けて放った言葉はこの一言だけだ。

松永も信長からの言葉に大した感慨も無い様子で形通りの礼をしただけで静かに下がって行き、そのまま京の屋敷に帰って行った。

その後、彼は一週間近くを屋敷に籠って過ごしていたのである。

 

 

じっと目を見開いた状態で何か思い出している様子の客人へ向けて、宅主の言葉は続く。

「私は卿から責められる覚えはないのだが。むしろ褒められるべきではないかな」

淡々とした調子で語る松永の言葉を聞いていた信長が、ゆっくりと口を開いた。

「弾正、長政の裏切りを何処で確信していた」

「戦が始まる前から」

当然、といった口調で即答されて、信長が眉根に軽く皺を寄せて久秀の目を凝視する。

「ならば、朽木での素早い動きは見越していたゆえか?」

煙管を片付けながら、松永は軽く首を振った。

「いいや、それは流石に考えてなかったよ。アレは朽木殿が馬で奔り込んできた私の姿を見て、機転を利かせてくれたお蔭でもある」

そうか、と呟いて板目へ目を落とした信長を眺め、松永が顎を撫でて溜息をつく。

「先の可能性は幾つでも考えておく必要性を、卿は今回勉強しただろう。卿や、婿殿など人間とは誰でも感情や欲で揺れるモノだということもね」

「貴様は、全てを知っているとでも言いたげな物言いだな」

冷え切った茶を手にした松永が、信長の不貞腐れた様な物言いに目を細めて僅かに口角を上げた。

「まさか。私でも分からぬ事はあるよ。ただ、卿よりはヒトの本質を知っている自負は持っているがね」

相手の言葉遣いは柔らかいが、話す内容は上からの物言いである。

間違った事を言っていないのは分かるが、いまだ素直に耳を傾けられない信長は腕組みをして唇を尖らせた。

「そんな『分かっている』男が、俺に先程の不興を見せたのは何故だ」

負けず嫌いの性分が良く見える信長の嫌味混じりの問いにも、松永は優雅に笑い流して茶碗を置く。

「此方が不快を呑み込むのは簡単だよ。だけれど偶には、せっかくの諫言に対して反省も感謝もしない童へ仕置きをするのも『分かる』者の務めだろう?」

自分の上を行く嫌味を返されて信長の目が据わる。

「俺を、餓鬼扱いするか」

信長の苛立ちを含んだ声に対し、松永は笑みを口元に残したまま半眼で客人を見据えた。

「おや、気付かなかったのかね?己の行いを省みず、周りに当たり散らすばかりな人物が第六天を名乗る事こそ歪(いびつ)で滑稽ではないか。卿はそんな程度の浅はかな存在だったかな」

静かな口調で語りながら、松永自身も今まで己の中に籠っていた腹立たしさの本当の理由をやっと明確に理解する。

織田信長に対する苛立ちの理由、それは。

「私を、失望させないでくれたまえ」

松永久秀の言葉の後、二人の空間が、しんと静けさに包まれた。

信長は、松永の最後の一言から彼の苛立ちに、己へ対する深い真があった事を知り、言葉を失う。

一軍の大将としての、第六天魔王織田信長として存在しようとする自分を、目の前で冷えた茶を啜る梟雄は期待していると暗に言っているのだ。

浅井、朝倉から挟撃を受けそうになっている時、もしも己を松永が見放していれば退路確保の話も出さなかっただろう、下手をしたら挟撃を受けている此方を助ける事もなく、高みから哀れな目で見ていた可能性もあった。

単純な臣下の義理だけで動く男ではない、それが自分を生かそうと言葉でこちらの背を押し、彼自身も俊敏に動いた事実の重さにやっと気付いた信長は、心中で己に残る幼さを恥じる。

だが、やはり素直にその気持ちを相手へ伝えられる訳も無く、信長はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「貴様の期待に添うために生きている訳ではないわ」

相変わらずの言い方だが、その声音にいくばくかの羞恥心を感じ取った松永は、口元に手を当てて小さく笑う。

「ふふ、それは失礼した」

「・・・なにを笑う、久秀」

相手の微笑に見透かされたと気付いた信長が、耳を赤くして睨んだ。

そんな様子を見て、梟雄はまた笑う。

「あの時、卿を生かす努力をして良かった、とね。珍しく思ったのだよ」

松永の厳しさが消えた笑みに、信長の頑なだった気持ちがふと緩んで、今まで言えなかった言葉が滑り落ちた。

「久秀・・・その、礼を言う」

遅くなったが、と慌ててぶっきらぼうに告げる信長の横顔に向けて、松永は美しい笑顔で返す。

「なに、役に立てて何よりだ」

松永から漸く穏やかな返礼を貰い、信長は改めてと座りなおし話を戻した。

「俺は三日後に帰る事になった。それまでに此方に顔を出せ、久秀」

嗚呼、と久秀はちょっと迷惑そうな顔で顎を撫でる。

「褒賞のことかね、それならば要らぬと言ったが・・・」

機嫌云々では無く、貰う気が松永には元々なかったらしい。

気乗りしない顔をしている相手に、信長が僅かに身を乗り出し重ねて来いと告げた。

「朽木元網には礼の文と品は送ってあるのだ、お前にも何かやらんと不公平になる」

「彼は功労者だ、貰って当然だろう。私とは立場が違う」

「お前も受け取って当然の事をした、同じ事だろうが」

頑として褒賞をやると譲らない信長に、鬢の辺りを掻きながら苦笑する松永。

「そこまで卿が言ってくれるのは有難いのだがね・・・白状すると、私としては受け取りづらい事情があるのだ」

貰いたがらない相手から思わぬ言葉が出て来て、信長はきょとんとする。

「事情だと?何だ、話せ」

小指で鬢の毛を撫で整えながら暫く言葉を探していた松永が、実はと低く語り出した。

「私の朽木殿への手配が順調すぎたせいか、卿の臣下の一部に『始めから松永久秀が義理堅い浅井の心を利用して、織田の心象を良くしようとした自作自演の撤退劇だった』などという出来の悪い紛い話が流れていると耳にしているのだ。そんな詰まらぬ作り話で笑われている身、無礼とは分かっているのだが卿にも迷惑を掛ける訳にはいかないゆえ、落ち着くまでは公(おおやけ)の場を控えさせて頂こうと思っていてね、すまない」

信長が初めて聞く話である。

暫く呆然と松永の顔を見ていたが、いきなり目が吊り上った。

そしてやおら立ち上がり、久秀と怒鳴るように名を呼ぶ。

「来い、今から俺の所に来い!」

顔を真っ赤にさせている客人を驚いたように見上げ、宥めるような声で落ち着きたまえと声を掛けるが、相手は松永へ歩み寄って手を差し出している。

「俺の前に出てこない方が余計な詮索を生まれさせているというのが分からんのか!行くぞ」

差し出された手を眺めながら、困ったと宅主は座ったまま優雅に笑っているだけだ。

「卿が怒る事では無いだろう、ヒトの噂話とは面白おかしく作られるモノだよ」

立ち上がろうとしない松永に業を煮やした信長が、相手の腕を掴んで無理やり立ち上がらせた。

そしてそのまま引っ張るように玄関へ向かって歩き出す。

近くを通りかかった小姓が驚いて二人に歩み寄るが、その動きに対して腕を引っ張られている宅主が静かに制し、出掛けてくると短く伝え下がらせた。

「放っておけばつまらぬ話など霧散する、わざわざそんな場に出て行く必要もないだろう?」

「阿呆、貴様が良くても、俺が好かん!!」

肩を怒らせ、足音を立てて廊下を歩く信長の後ろ姿を初めは呆れたように眺めていた松永だったが、次第に何故か可笑しくなって来て笑みが浮かび始める。

「して、私を連れて行ってどのような事をするのかね?」

「決まっている。俺が貴様に正当な褒賞を渡す、それを見せる事で周りの奴らには朽木の件が真実以外のなにものでもない事を証明できる」

「それで噂話が無くなると?」

足を止め、振り返って松永を見上げた信長の目はぎらりとした光を放っていた。

「俺が帰るまでに出所なぞ、直ぐに突き留めて黙らせてやるわ」

魔王殿のこの怒り方は本当だ、と松永は理解して困ったような笑みを浮かべたまま玄関へ引っ張られてゆく。

笑い話のつもりで口にした張本人は、ここまで信長が本気になって憤ると思っていなかったようで、そんな相手の突き詰めるくらいの公平さや真面目さ、そして己に対する感情の豊かさを改めて感じ、これこそ一番の褒賞ではないかと心の中で柔らかく呟いた。

この一件の後、織田信長は浅井長政に対して身内というこだわりを捨て、対立者として苛烈な責めを行ってゆく事となる。

松永久秀は織田の行軍に参加することは以後無かったが、名実ともに第六天魔王の呼び名が巷に広がって行くさまを遠目に眺めながら、あの時己の示した昏い道標に向かって進んで行くような信長に向けて、陰鬱な微笑を浮かべていた。

 

 

 

(終わり)

 

 

 

 

金ケ崎の退き口、を中心に置いた作文でした。

誤解がありそうなので慌てて補足しますと、私の書く信長さまはゲーム中よりかなり若くなっています。

なので、経験が浅い部分がある為に、初めて撤退をしなければならないという状況(金ケ崎戦)で若さゆえの迷いが出てしまった、それを弾正がきつく指摘した、という設定で書いています。

「魔王と名乗るからには言動が伴わなければ見っとも無いよ」と言ってあげる弾正が優しすぎやしないかとも書きつつ思いましたが、この頃は信長を育てる久秀だったら(私が)良い夢見られるとか、久信設定なのでいいかと。

この二人の喧嘩は、血が流れないけれどメンタルに来る喧嘩になりそう、とブルブルしながらいつも楽しく書いています。